学校に行けなくても

「5月病」は、春から新しい環境に入ったもののうまくなじめずに、ゴールデンウィーク明けあたりから体調を崩す人が多いことから、こういう名前がついたそうです。

私は学生の頃は年中しょっちゅう体調を崩していました。色々な持病のようなもの(病名はまだ付いていませんでした)があったので、どちらかというと調子が良くて気分爽快ということが珍しいくらいでした。
なので、「また具合が悪くなったら嫌だな」という気持ちから、学校へ行くのが苦になりました。欠席も多いし、同じ年頃の女の子たちと話が合わなかったので、たまに学校へ行っても余計に話は合わないし、授業にもついていけないし。そもそも具合が良くなったから学校へ行けるという自信がなかなか持てなくて、朝の着替えがとても億劫でした。
長い間欠席していた学校に行くと忘れ物だらけ…という夢を未だに時々見ます。

中学では進学校を目指していたので、内申書に欠席日数が響くのではという不安は常にありました。塾にも通っていましたが、欠席が増えて負担が倍になってしまって受験を前にやめてしまいました。

小学校から一緒だった友達で同じ進学校を目指す子たちは皆、生徒会に入りました。私も先生に誘ってもらったのですが、休んだら迷惑がかかるだろうと思ってお断りしました。この「休んだら迷惑がかかる」という気持ちが、何をする時にもいつも歯止めをかけました。

生徒会に入った子たちは皆志望校に合格し、私は不合格でした。親や先生たちは「体調が悪かったから仕方ない」と言いましたが、あのやるせなさはどう言葉にしたらいいのかわかりません。

滑り止めに受けた高校には合格し、入学したのですが、またすぐにほぼ不登校の状態になりました。体調不良に加えてバス通学が負担になりました。片道20分で車酔いしたり過呼吸になるのです。父親に車で送ってもらった日も、途中で気分が悪くなり家に引き返してもらいました。
結局、出席日数が足りなくなり留年確定になりました。あの頃は、友達と1学年離れることがどんなに恐ろしかったか。自分の人生が終わったような気持ちでした。

でも私はこの高校を中退しました。通信制高校という道があるのを知ったからです。
通信制は普段は家で勉強して時々スクーリングに通うのですが、自己管理が求められる分マイペースにやれて私には合っていました。何らかの理由で高校に行けなかったりドロップアウトした人が、卒業資格を取ろうとやってきていました。歳もバラバラで、私は自分がどんなに狭い世界に生きていたのかを知りました。

中には大学や専門学校への進学を目指している人もいて、私はアートやデザインの勉強をしたいと思っていたのですが、仲間を見つけることもできました。
一緒に卒業できた人もいれば、やめて大学入学資格検定を受けた人もいましたが、皆いろんな所へ散らばっていきました。そして私はデザインを学ぶため進学しました。

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