発達障害という見方

発達障害について知るようになると、自分だけじゃなく他人に対しても「もしかしてこの人のこういうところは発達障害なんじゃないのかな」と思うことがあります。正直なところ、身の回りを見渡して発達障害の特性が全くないと思う人の方が少ないくらいです。でも実際に発達障害グレーゾーンの状態にある人がとても多いといいますし、それは間違いではないのかもしれません。

発達障害なんじゃないの?と言われて、いい気持ちになる人はあまりいないだろうと思います。だけど侮蔑的な意味合いで言われたのでなければ、それは自分の中に発達障害に対する偏見や受け入れたくない気持ちがあるからではないでしょうか。
どんな人も母親のお腹にいる時から現在まで、成長の早さや形が同じではないし、少し人とは違うかもしれません。それは人より劣っているということではないはずです。だけど、人にそうしたことを指摘したり指摘されたりすることが好ましくないと感じるのはなぜなんでしょうね。

病気や障害と呼ばれるものに自分がなりたくないのは当然ですし、偏見の全くない人なんていないと私は思います。もしそんなにフラットな気持ちで病気や障害を見つめることができるのなら、自分のことを受け入れるのにこんなに苦しまなかったと思うからです。

発達障害を特別なもののように言う人もいます。ドラマなどで扱われるサヴァン症候群は実際は少ないそうです。私も医師に発達障害だろうと告げられた時、芸能人や発明家の名前など出して「あの人も発達障害だった」と言われたのですが、なんだか少しも慰めになりませんでした。私はそんな才能持ってないし有名人でもないよ、と思っただけでした。ものすごい記憶力とか、ものすごい芸術センスとかを発達障害の人皆が持っているわけではないです。「双極性障害には芸術家が多い」とか「ゲイはファッションセンスがある」とかそういう発言と同じようなものだと思います。

「この人にはそういう特性があるかもしれない」という見方をすることは、相手との良い関係を築く上でプラスになるのではないでしょうか。もちろん発達障害について、そして相手についてよく知ろうとする姿勢が大切だと思います。「なんでこの人はこういうふうにできないんだろう」「なんで話が通じないんだろう」など腹を立てたり失望していた相手のことを、発達障害というフィルターを重ねて見た時に、少し違った見方をできる場合があるだろうと思うのです。私も家族や親類について、そのような形で少しは受け止めることができるようになってきた気がします。

自分のことや身近な人のことを理解する上で、発達障害という見方は助けになることがあるかもしれません。

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