グレーゾーン・成人発達障害の苦しみ

グレーゾーンとは、発達障害の特性があるものの未診断である、もしくは定型発達(発達障害がない人)と発達障害の境界域にある状態を言うそうです。以前の記事に書きましたが、私は発達障害について「グレーゾーン」と医師から言われたことがあります。

医師からグレーゾーンと言われる背景には、断定が難しい、心理的ショックを避けるため明言しない、現状診断を下す必要性がないなど色々あるようです。でも私は「グレーゾーン」という曖昧なラベルをつけられたことがなんだかすっきりしませんでしたし、それがわかったところでどうすればいいのかと悩みが深くなりました。

「クロ」であれば抱える困難は計り知れませんが、早くに気付いてもらえたかもしれないし、サポートも受けられます。でも「グレー」と言われる人は(特に大人になって発覚した人はグレーのことが多い)、必死に「シロ」になろうとして生きていくしかないのだろうか…そういう思いつめた気持ちになりました。サポートとは大人の場合は就労に関わることが主みたいですが、私のような通勤が難しくて在宅ワークしている人間はどうすれば良いのか、仕事関係の人や家族に理解を求めるべきなのか…など、どこに相談すべきかもわかりませんでした。

私は学生時代からどちらかというと優等生タイプに見られることが多かったのですが、その分できることとできないこととの差が大きいことに苦しんできました。知能検査の結果を見て初めてその理由がわかりました。比較的成績が良かったり、言動に大きな問題がなかったりすると、障害が見えにくいのかもしれません。そうして大人になって鬱病などの二次障害を発症して、やっと気付かれる人が多いと聞きます。
成人発達障害は、以前は発達障害という概念が今ほど一般に知られていなかったから気付かれなかったケースも多いのではないかと思います。本当に発達障害は増えているんでしょうか。親の世代にも、またその親の世代にもグレーゾーンの人はたくさんいるのではないでしょうか。

「発達障害は個性」と言う人がいます。私も主治医に言われることがあります。障害を受け入れやすくしようという気持ち、あるいは特別視はやめようという気持ちなのかもしれません。発達障害の特性があっても大きな困難を抱えない人もいるかもしれないし、周囲のサポートに恵まれていたり、自分の力を活かせる場所を持っている人はそう言えるのかもしれません。
でも感覚過敏や鬱の苦しみはどうでしょうか。持っている特性は個性だとしても障害は個性ではないと思います。発達障害を個性あるいは障害として自分自身で受け入れていくことも、良い部分を活かそうと考えることも必要ですが、困っていることに目を向けてほしいのです。「誰だって苦手なことはある」と苦しみを一般化されてしまうことで、行き場のない気持ちをさらに追い詰められることがあります。

困難を抱える人が生きやすい環境は、ほかの人たちにとっても優しい環境になるはずです。多くの人が発達障害の特性を大なり小なり持っているという考えと、それによって困難を抱える人が「同じ」ではないのだという考えと、両方が大切だと思います。

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