ひとりデイケア

先日「家族の野心」という記事を書いた後、なんだかずっとモヤモヤした気持ちを引きずっていました。自分の気持ちをあまりうまく整理できていなかったせいだと思います。結局あれはどういう現象なのか、自分はなぜこんなに苛立ちを感じるのかを考えていました。それである考えにたどり着きました。

それは、何の役にも立たない、何を目指すこともない物作りが、私には必要だったのかもしれない、ということです。

私の親は、私に何か立派なことを成し遂げて欲しいのだと思います。なぜなら「人の役に立つことをしなければならない」、「何事も上を目指すべきだ」といったことを子供の頃から言われ続けてきたからです。

けれどその反対のことが私には必要だったのだ、と思いました。

私は子供の頃から絵を描いたり工作したりするのが好きで、美術系の学校に進学しました。親は当然私が物作りの世界で才能を発揮し、活躍することを期待したと思います。学校でも職場でも私は評価や成果を得るための物作りをしてきました。

「人の役に立つことをしなければならない」、「何事も上を目指すべきだ」という言葉は呪縛のようになって、思った以上に私を追い詰めてきました。私は周りの人にもそれを求めていました。でも成果を出すことを目指すほどに萎縮して思うようにいかないこともありました。今の私は新しい仕事をすること自体にひどい不安を感じます。

誰の目も気にせずに、何のプレッシャーもなく、ただ思うままに物作りをする時、思いがけずいいアイデアが浮かぶことがあります。できたものは見せたい時に見せたい場所だけで人に見せることができます。自分は本当に物作りが好きなんだと感じることができます。

だから、そんな自分の自由になれる大事なものを家族の発言に邪魔されることが嫌で、私は苛立っていたのだと気付きました。楽しい物作りはやはり私の「ひとりデイケア」なのだと思います。

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