診断名を知ること

私は子どもの頃から原因のわからない多くの不調に悩まされてきたので、1つずつ診断名が付いてきたことは、治療方針が定まるという意味では嬉しいことでした。でも、診断して治療すればすっきり治るものばかりではないこともわかりました。そして、うまく付き合っていくという考えに至るまで、それは辛いことでした。

精神科領域の病名がついた時には、通院を始めてからかなり経っていたので安堵した部分もありましたが、病気について知って受け止めようとすればするほど、これまで積み上げてきたものがひっくり返されてしまうような感じがしました。

双極性障害2型については、何を軽躁と見るのかが難しく、自分にとっては調子の良かった時が(思い返して人生の最高潮であったと思う時でさえ)病気のせいだったと思うと、それはショックなものです。元気が良ければ通常は良かったねと言われるのが、躁状態を疑われると、調子が上がることをむしろ心配されるわけです。
反対に、人のせいにしたり腹を立てたりしていたことが自分のせいだったかもしれないと思うと、今度はとてつもない罪悪感や自責の念にかられます。
こうしたネガティブ思考自体が不調の表れである場合もありますが。

診断名を知ることはこうしたショックにつながることもありますし、わからないならわからないでいつまでも苦しむわけですから、難しい問題です。

発達障害については、私の場合は確かにその特性はあるけれど、「診断は必要ない。グレーゾーンである。」というふうに言われました。自閉症スペクトラムは自閉症から自閉傾向まで幅広く総称的に捉えたもので、私のように未診断だったり、定型発達(発達障害がない人をこう呼ぶらしい)と発達障害の境界域にある状態を「グレーゾーン」と呼ぶそうです。

私の主治医の場合、診断をするというのは投薬や支援などの必要があるからするもので、双極性障害と治療は特に変わらないし、障害者手帳も取得しているから診断の必要はない、ということのようでした。診断名にこだわるよりも、今の苦痛に対してどういう治療をするかということを重視されるみたいです。患者にとってはそこに自分の苦しみの原因や手立ての必要性を明らかにするという目的があるのですが、医師にとっては少しニュアンスが違うのかもしれないと思いました。

双極性障害と発達障害を持つ自分を知った私は、自分自身の軸のようなものがわからなくなってしまい、大きく自信を損ないました。でも何も知らない方が良かったのかというと、少しずつ整理ができてきた今は、知る必要があったのだとも思えるようになってきました。

スポンサーリンク