無我夢中になること

傍目に見ると私は「熱しやすく冷めやすい人」なのだと思います。ある日突然、これまでは見向きもしなかったものにハマり始め、寝食を忘れるように没頭し(以前は本当に忘れていた)、知識や技術を習得し、そしてある日突然また別のことに興味が移るのです。
実際は、連想ゲームのように興味が広がる感じなのですべて興味をなくすわけではなく、自分では飽きっぽいとは思っていませんでした。ただ最近では一生懸命覚えたことをすぐに忘れてしまいます。

わりと最近になって自分がそういうパターンを持っていることに気付き、ショックを受けました。自分は何かを深く掘り下げるタイプだと思っていたのに、思ったほど長い期間1つのことだけに集中できないということは、結局何を始めても長続きしないのではと思ったのです。

広く浅く多くのことを手がけて知識を持っているタイプの人も素晴らしいと思います。でも世間では、何か1つでも突き抜けている人の方が評価されている気がします。そして私もそういう人になるには何が一番向いているんだろうかとずっと考えてきました。

私が何か物を作ると「展覧会すれば?」「売れるんじゃない?」と言ってもらえることがあります。特に私の親はそう言います。でもそれがだんだん負担に感じるようになりました。「ただ好きでやってはいけないの?」と。
もちろん何かをするときに極めようとか上を目指そうとすることは立派だし、私はそうするように言われて育ってきました。でも上を目指すことと楽しむことは必ずしも同じではないですよね。

では自分のやっていることが趣味かというと、コロコロ変わるのでマイブームといった方が良さそう。現実逃避や依存のようでもあるけれど、もう少しポジティブなものを自分にもたらしてくれている気がします。

そう思っていたら、星野源さんの『そして生活はつづく 』という本に「自分なくしをする」という話が書かれているのを読んで、雷に打たれたような気がしました。それは、自分の内側に気持ちが向いてしまいがちなので、彼の場合は音楽や演劇に夢中になって我を忘れることが、「仕事や日常をよりよく過ごすためのヒント」になるという話でした。

私は調子が悪くなると自分の体調のことや嫌な過去のことにとらわれてしまうので、瞑想とか自己暗示とか一時はそういうものをマスターしようとしていました。でも主治医の先生にも言われたんです。「あなたには向いてないかな。じっとしてるの好きじゃないでしょう?」と。

だから、それならじっとして頭の中を無にしようとするのではなく、好きなことに夢中になるのがいいんじゃないかと思ったのです。それ以来、私は自分が夢中になっていることは趣味でも仕事でもなく、瞑想とか治療のようなものだと思うことにしました。

病気を抱えていても、ささやかな楽しみを持てることは自分を支えてくれると思います。私の楽しみについてもあれこれ書いていこうと思います。

—-

追記:何かに没頭して無我の境地に入ることを「ゾーンに入る」と心理学用語では言うそうです。

スポンサーリンク

シェアする