劣等感のせい
私が子供の頃、クラスで私をライバル視していた子のことを母はいつも褒めていました。あの子のファンだと。私は長女なので上に兄弟がいませんが、ライバルと成績を比較されました。そのライバルの子は「今年もいいライバルでいてね」なんて年賀状を送ってくる子でしたが、私は競争したいとは思っていませんでした。
母は子供の頃から私に「お母さんは何かあったらあなたたちよりお父さんを選ぶ」と言っていました。偏食の父が嫌うものは食卓にあまり出なかったため、私は大人になって食べたことないものが多いことに気付きました。でもたまに実家に帰っても私のアレルギーは覚えておらず、おかずに入っていたりします。母は私のことなどちゃんと見ていない、何かあったら手のひら返し、見捨てる、そのようにさえ感じることがあります。
我が家には批判的な言葉が多い、そのことに気付いたのは、高校生の時にイギリスへ短期ホームステイをして帰ってきた時でした。イギリスの家族は私に本当の家族のように温かく愛情深く接してくれました。それはそれは居心地が良くて、日本に帰ってから逆にホームシックになったほどでした。実家に帰ってうんざりしたのは、家族皆、批判や人の悪口がとても多いことでした。テレビを見ながら野次を飛ばしたり、人の陰口を言ったり。こういうのって日常的に見ていると人を信じられなくなるし、間接的に自分を批判されたように感じることもあります。家を出て初めて気付くこともあるものだと思いました。
私の父はよく「良い地位につこうとか、報酬を得ようとか思うな。人の役に立つことをしろ。」と言いました。が、父も母もその割に「上を目指せ」とか「これは商売になる」とか評価や対価を求めるようなことを言います。その矛盾に気づいていないのか、他人の評価を気にしていてそこに劣等感があるから、人と比べたり、批判したり、「評価を気にするな」と言ったりするのでしょうか。おそらくそのことに私の家族は気付いていないか、気付かないふりをしているのかもしれません。
「やればできる」「おまえならできる」その期待は本当に私のためにかけられたものだったんでしょうか。「デキる娘」を育てる自分に誇りを持ちたかったのではないでしょうか。
自分は思ったよりずっと劣等感が強いことに、私は病気になって気付きました。病気になっていろんなことが思うようにできなくなって劣等感を抱いたのもあるけれど、元々劣等感が強かったのだと思います。根本的な自己肯定感のようなものが低いのです。劣等感は人から、特に親から植え付けられると言います。植え付ける相手もまた劣等感を持っているそうですから、親から子へと脈々と引き継がれてきたのかもしれません。
自分が劣等感を持っているせいで人にも劣等感を植え付けるようなことをして傷付けてきたかもしれない、そのことに気付くのは苦しいことです。でも私の家族は誰かに言われない限り気付かないままでしょう。つながりを保っている限り、私はこれからも家族に劣等感を刺激され続けるのかもしれない、そう考えるとどうしたらいいのかわからなくなります。
スポンサーリンク